元THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのチバユウスケ氏。『ギヤ・ブルーズ』時代。
梅雨も明け、夏らしい暑い日だった。
TMGEに出会ったのもまた、今日と同じような暑い夏の日だった。
漫画の夢を諦めきれないまま、将来の安定の為に全く違う分野の専門学校に進学した1年目の夏休みの事。
たまたま見ていたTVに『G.W.D』のPVが流れた。
モッズスーツに身を包んだテンションの低そうな、不愛想で怠そうな4人組。
チャンネルを変える理由もなく、なんとなく流し見をしていた。
演奏が始まった瞬間、それまでの静けさが嘘の様に、音が、音楽が、爆発した。
イントロの地を這うようなウエノさんのベース、チバさんの切り裂くようなシャウト、クハラさんのリズムに、アベさんの攻撃的なギター。
そこから渦を巻くように攻め込んでくる音楽の衝撃に、頭の中が真っ白になった。
歌詞の内容はあまりにも抽象的で、その分解釈が自由であることに、衝撃と解放を覚えた。後に『G.W.D』が歌詞中の『がなる われる だれる』の頭文字と知った時の驚きは忘れることはないだろう。
こんな音楽は聴いたことがなかった。
…いや、あった。一回だけ。
それは1998年1月のHEY!HEY!HEY!。『BIRDMEN』演奏で出演した時に、偶然見ていた。
やっぱりテンション低めで、トークも空振りで、ダウンタウンの二人も持て余してた。
夕食後の皿洗いをしながらなんとなく流していて、興味も全く感じなかった。
…が、しかし。やはり演奏が始まった瞬間、世界は一変した。
それまで飲み込まれていたかのように見えたミッシェルが、逆に周りを飲み込んだ。
驚きのあまり、泡だらけの手もそのままにTVの前に走り込み、瞬きをするのも忘れて見入った。釘付けだった。
残念ながら当時はインターネット等家庭には皆無。またthee michelle gun elephant(当時は小文字だった)という長くて脈絡のないバンド名は覚えられず、調べようがなかった…。
しかしその半年後の夏に、再会という名の出会いを果たしたのだ。
これを運命と言わず、何を運命というのか。
彼らの媚びない姿勢、やりたいことを貫くスタンス。自分に全く足りない物だった。
そこからの私の行動も一変した。
まず漫画やイラストは描き続けようと思った。描いていて良いんだと思えた。
次にライブに行くための資金作り。近場の飲食店に直接電話してバイトを取り付けた。
ミッシェルのCDを買い、音楽関連の雑誌を読み、ミッシェルのルーツの音楽を聴いたり、ミッシェルを通じて友人が増えたり、一人で県外にライブに行ったり。
世界が一気に広がった。
あらゆる面で私はミッシェルに救われたし、今もなお心の拠り所である。
あれから22年が過ぎた。ミッシェルは解散したし、アベさんは還らぬ人となった。
私もまた迷いと気付きとやっぱり迷いとを繰り返し、明確な答えは見つからないまま、うだつの上がらない平凡な毎日を送っている。(明確な答えなど存在しないというのが明確な答えか。)
漫画やドラマのような劇的変化もあるはずがなく、漫画の夢はイラスト趣味へと落ち着いた。職業もまた専門学校で学んだ分野のままである。今後の転職も同様の予定。
今後も続くありきたりな人生の中で、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTに出会った時の衝撃は、どれだけ時がたっても、何時だって色鮮やかに蘇るんだろう。
夏になるとミッシェルを、特にミッシェルとの出会いを語りたくなる。
ここまで読んで下さった方々、お付き合い頂き有難うございました。