流線型の鋭角

ミッドライフクライシスど真ん中。イラストと偏った人生観をつらつらと。

映画『生きる』より、トヨと渡辺

胃癌宣告で絶望している渡辺に、トヨが何か作ってみたら良いと提案するシーン。

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「課長さんも何か造ってみたら?」


以前アップした『生きる』感想はこちら。

yasoba-juyo.hatenablog.com



以下ネタバレ含みます。
このシーンの後、渡辺は残された自身の人生を、地域住民の願いである公園造りに捧げます。そして5ヶ月後、己が手塩にかけた公園のブランコで息を引き取ります。
私にとって衝撃だった事は、このターニングポイント含め、渡辺にとって最も影響を与えたこのトヨが、このシーンを最後に全く出ない事!

映画の前半、あれだけ大きな存在を示していたのに。しかもこのシーンは渡辺に対してドン引きで、いかにも再会シーンがありそうなのに!

回想にも、ちょっとした背景にも一切出ない。
普通映画だったら、ラストシーンにでも再登場させて伏線回収しつつ、余韻を持たせるのが鉄板でしょうに。あまりにもあっさりと退場している。

でもそれって逆に現実的だなぁと。良いなぁと思いました。


今でこそスマホやらZOOMやら、リモートコミュニケーションは日常化しましたが、これまた意識して機会を作らないと流れていくのが普通の人間関係。
個人的には、人間関係は自然に流れるものだし、無理して続ける必要は無いと思います。

たまに思い出して、気が向いたら連絡とって。

続くなら続く。終わるなら終わる。それで良いと思います。
そういう意味で、トヨのあっさりした退場は、衝撃であり納得でもありました。


アドラー心理学モチーフの『嫌われる勇気』の続編、『幸せになる勇気』では「最良の別れ」について以下のように書かれています。

『ただひたすらすべての出会いとすべての対人関係において、「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。』

 
人は必ず死ぬ為、別れもまた必須。
別れに対して、また人生に対しても、ドラマチックである必要も、後ろ向きになる必要も無いんでしょうね。普通で良いんですね。
心が少し軽く明るくなりました。