流線型の鋭角

ミッドライフクライシスど真ん中。イラストと偏った人生観をつらつらと。

ラインホルド・ニーバー「ニーバ―の祈り」について

ラインホルド・ニーバー

Wikipediaによると、「アメリカ自由主義神学者、政治や社会問題についてのコメンテーター」とのこと。

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Reinhold Niebuhr

先日受けた講義の中で、ラインホルド・ニーバー氏の「ニーバ―の祈り」が紹介されました。ハッとさせられる内容でした。以下、Wikipediaより引用。

  • 英語(原文)
    O God and Heavenly Father,
    Grant to us the serenity of mind to accept that which cannot be changed; courage to change that which can be changed, and wisdom to know the one from the other, through Jesus Christ our Lord, Amen.
  • 日本語訳
    神よ、天にまします父よ、
    私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。
    変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。
    そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい。
    われらの主、イエス・キリスト。アーメン。

   「ニーバ―の祈り」Wikipediaより

 

そういえば南直哉氏も似たようなことを書かれていました。

直哉氏の「禅僧が教える 心がラクになる生き方」、P90『夢も、「夢を追う自分」も徹底的に冷たく見る』の項目より、以下引用します。

本当に、夢を叶えることができるのか。

そのためにリスクと犠牲を払う覚悟が、自分にあるのか。

「ひょっとしたらダメかもしれない」というところから、そこから具体的に踏み込んで考えなければ、夢は「夢」で終わります

南直哉 「禅僧が教える 心がラクになる生き方」

 

夢も理想も、持つ事は(持たないのも)自由。でもそれが実現可能なものなのか。

いつまでにどこまで達成すべきなのか。具体的な方法はどうするか。

またその夢を諦めるとしたらどういう条件なのか。

自分はこの認識が甘いまま、目をそらしたまま生きてしまったと思います。

同時期に似通った言葉に出会い、自身が刺激されたので記事にしました。

 

今日は先週に続いて、またも家人の受診付き添い。

これまた運命。そういう年代であり、家族的役割。仕方ない。

状態は落ち着いているので、まぁ良しです。

次のお休みは自分のためにゆっくりします。